NLPの世界権威の1人である
ティム・ハルボム氏が話されていた、
NLPが生まれたエピソードを
お伝えします。
こちらの内容は、ティム・ハルボム氏が、
NLPプロコーチトレーニングの講義内で
お話して下さった内容であり、
NLPがモデリングから始まったという、
興味深いエピソードです。
<NLPは1人の学生から始まった>
時は1973年。カリフォルニア州サンタクルーズ大学で心理学を学ぶ、1人の若者がいました。彼の名前は、リチャード・バンドラー。
バンドラーは大学に通いながら、「科学と行動研究所」という出版社でバイトをしていました。
彼がバイトをしていた頃、フリッツ・パールズという世界的に有名な心理療法士が、本を出版しようと執筆していました。
ところがある日突然、執筆中の本を書き終えることなく亡くなってしまいました。
フリッツ・パールズの研究やワークに魅了されていたリチャード・バンドラーは、出版社に掛け合い、
「フリッツ・パールズが実際にセッションしている映像を見せて貰えるなら、僕がこの本を書き上げます。」と交渉しました。
出版社も「失うものは何もない。」ということで、「わかりました。やれることがあるのであればやってみてください。」と許可を出しました。
そして、リチャード・バンドラーは、フリッツ・パールズが実際にワークをしている沢山の映像を見始めます。
その映像の中でフリッツ・パールズは、非常にいいクライアントの変化を起こしたワーク後、「今私が何をしたのか、説明をします。」と言って、自分が行ったワークについて説明をしていました。
リチャード・バンドラーはその映像を見て「確かに、フリッツ・パールズは自分で説明していることも行っているが、それ以上に、説明されていない物凄く沢山のことを行っている。」と気づきます。
そこで、バンドラーは映像を時にスロー再生したり、繰り返し見て、フリッツ・パールズが行っていることを詳細に分析していきます。
そして、この素晴らしい心理療法家が口では言っていないけれども、実は行っている素晴らしい数々のことを見つけていきます。
「なんて凄いことをやっているんだ!」と驚愕したバンドラーでしたが、どうしてもうまく言語化できません。
そこでバンドラーは、自分の大学の言語学の先生だったジョン・グリンダーと仲良くなり、バンドラーが発見したフリッツ・パールズの言語パターンを体系化する手助けをしてもらいます。
そして、バンドラーとグリンダーはフリッツ・パールズがやっていたことを体系化し、誰でもできるようにモデルをつくり、この通りにやってみて下さいと学生たちに言いました。
これをモデリング(行動モデリング)と彼らは呼んでいました。
このモデリングにより、学生たちがフリッツ・パールズのような高名な心理療法と同じ結果ができるか実験を試みました。
結果は成功。
続いて彼らは、家族療法の開発者である、バージニア・サティアのモデリングを始めます。
さらにその次にモデリングしたのが、この100年で最高峰の心理療法家と呼ばれる、ミルトン・エリクソンでした。
こうしたことを重ねて行く中で、彼らは色んなことを発見します。
そして、3人の天才療法家と同じ成果の出せる、様々なテクニックが生まれていきます。
そんな2人の活動を見ていて、学生たちが
どんどん様々な人物のモデリングを始めていきました。
こうしてNLPという巨大な分野が生まれていきました。
そもそもNLPの何が人を魅了したかというと、
『ただの理論ではなかった』ということです。
実際に再現可能であり、再現されてることが体験でもわかり、観察することによってもわかるというものが、生み出されていきました。
現在NLPは、非常に大きな分野に育って世界中で教えられ、学ぶ人が沢山います。
筆者である私も、30代半ばにこの心理学NLPに出会い、まさに理論ではなく具体的なワーク、体験を通してその変化を感じることができました。
モデリングは、NLPセミナーの中で最初に体験するワークですが、
仕事で成果を出している上司及び、お互いを尊重しあえている素敵なご夫婦をモデリングし、仕事や結婚生活に活用し、望ましい状態を手に入れることができています。
今では、NLPを教えるトレーナーになることもできました。NLPがなければ今の私はなかったと言っても過言ではありません。
これからも、私自身がNLPを実践しつつ、
NLPを広めて多くの方に貢献していくことが私の喜び、使命となっています。
NLPとの出会いと、NLPをこの世に生み出してくれた、リチャード・バンドラーとジョン・グリンダーに感謝しています。
NLP-JAPANラーニング・センター
NLPトレーナー 後藤昭雄